【青梅の歴史】青梅大祭を彩る「お囃子」のルーツを辿る!4つの流派と独自の進化

青梅大祭の主役といえば、町中を練り歩く華やかな山車(だし)。そして、その山車の上で威勢よく奏でられ、お祭りの熱気を最高潮に高めるのが「お囃子(はやし)」です。
かつて明治44年に町中に電線が張られたことで、山車は背の高い三重高欄から現在の屋台形へと改造されました。その結果、人形に代わって山車の上で演奏するお囃子が、祭りの新たな主役としてクローズアップされるようになりました。
今回は、青梅の歴史書『青梅市史(上)』の記録をもとに、青梅市内に伝わるお囃子のルーツや、多様な流派について紐解いていきます。
青梅のお囃子は大きく分けて「4系統」!
青梅市内で伝承されているお囃子の多くは、江戸・東京方面から伝わった流派を汲んでいます。資料によると、青梅の囃子は大きく「神田囃子」「千住囃子」「目黒囃子」「重松囃子」の4系統に分類されます。
それぞれのルーツと、伝承している代表的な町内を見ていきましょう。
圧倒的多数派の「神田囃子(かんだばやし)」
青梅の中心部をはじめ、最も多くの地域で親しまれているのが神田囃子です。そのルーツの一つは千ヶ瀬町にあります。安政6年(1859年)頃、当時の神職・高野環氏が武蔵村山から伝えたのが始まりと言われています。
- 西分(西分囃子連): 明治32年に千ヶ瀬町の橋本幸助氏、橋本磯吉氏から伝習しました。
- 本町(本町囃子連): 昭和20年に上記の西分囃子連から伝習した記録が残っています。
- 駒木野(駒木野囃子連中): 明治初年から末期にかけて、西分などから神田囃子を伝習しました。
このように、千ヶ瀬から西分へ、そして本町へ……と、町内同士で教え合い、文化が受け継がれてきたことがわかります。
名人から広まった「千住囃子(せんじゅばやし)」
神田囃子とは異なるリズムを持つ千住囃子は、別名「黒沢ばやし」とも呼ばれます。明治初年頃、黒沢の住人で名人だった若林仙十郎(仙太郎)氏が広めたことで、各地に伝わりました。
- 黒沢(黒沢囃子保存会): この流派の源流であり、独自の進化を遂げました。
- 中郷(中郷囃子保存会): 明治25年頃、黒沢の仙太郎氏を師匠として伝習しました。
- 勝沼(勝沼囃子会): こちらの町内も千住囃子の流派を受け継いでいます。
多摩地域で人気の「重松囃子(じゅうまりゅう)」
所沢の古谷重松氏によって考案され、多摩地域で広く愛されているテンポの良いお囃子です。
青梅では柚木町、上郷、畑中などで伝承されています。
ちなみに青梅大祭の際、仲町や上町の山車には、それぞれこの柚木町や畑中のお囃子連が招かれて演奏しており、町を越えた交流が見られます。
祇園囃子の趣がある「目黒囃子(めぐろばやし)」
- 友田(友田保存会): 明治3年頃に秩父市から師匠を招いて伝習したとされています。
- 藤橋・新町: 友田と同じく目黒囃子(船橋派)を受け継いでいます。神田囃子などと異なり、きわめて温和な調子で、祇園囃子のおもむきがあるのが特徴です。
その他の珍しい流派も!
上記4系統以外にも、青梅には珍しい流派が残っています。
例えば、下長淵は「金杉囃子」を、大柳町は「葛西囃子(新囃子)」を伝承しており、町内ごとの強烈な個性が光ります。
お祭りを盛り上げる「曲目」と「お面」
お囃子では、シーンに合わせて様々な曲目が演奏され、それに合わせてユーモラスな踊りが披露されます。
代表的な曲目
流派によって多少の違いはありますが、以下のような曲目が共通して演奏されています。
- 屋台(やたい)、昇殿(しょうでん)、鎌倉(かまくら)、四丁目(しちょうめ)、にんば(仁羽)など。
個性豊かなお面(仮面)
お囃子の演奏に合わせて踊る役者たちは、色々な面を付け替えて観客を楽しませます。
- よく使われる面には、天狐(てんこ/狐)、おかめ、ひょっとこ、外道(げどう)、獅子(しし)などがあります。
まとめ
今度のお祭りでは、「この町内のお囃子は神田囃子かな?重松囃子かな?」と耳を澄ませてみたり、「あのお面は外道だ!」と細部に注目してみたりすると、また違った楽しみ方ができるかもしれません。
各町内が代々大切に受け継いできたお囃子の音色を、ぜひ現地で体感してみてください!
参考資料
- 青梅市史編さん委員会『青梅市史(上)』

青梅大祭の魅力は、まだまだ語り尽くせません!
12台の豪華な山車の見どころから、江戸の天下祭にルーツを持つ深い歴史、そして当日の交通規制や公共交通機関でのアクセス方法まで、これさえ読めば青梅大祭のすべてがわかります。
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