【青梅の民話】大晦日の夜に現れた狸の恩返し?「づんづく大尽」に隠された本当の教訓とは

青梅のあちこちにひっそりと残る「民話」や「伝説」。
古い文献に眠っているこれらのお話を、現代の視点で掘り起こしてご紹介します!
今回ご紹介するのは、市内日影和田(現在の和田町)に伝わる不思議な狸のお話「づんづく大尽(だいじん)」です。
一見すると不思議でラッキーな昔話ですが、少し視点を変えてみると、青梅の人々の温かい人情が見えてきます。
日影和田に伝わる狸伝説「づんづく大尽」のあらすじ
むかしむかし、青梅の日影和田という場所に、ある家がありました。
ある年の大晦日の夜のこと。その家では、一年間一生懸命働いてくれた雇人(使用人)たちの労をねぎらうため、盛大な酒盛りが開かれました。
宴会が無事に終わり、家の人々がすっかり寝静まった真夜中。どこからともなく、一群の狸たちが現れました。
狸たちは、宴会の席に残っていたご馳走や酒を見つけると、それを囲んで自分たちの酒盛りを始めました。
すっかり上機嫌になった狸たちは、ポンポコと腹つづみを打ちながら「づんづく、づんづく」と楽しそうに囃し立てます。そして、「これだけご馳走になれば、この家の繁盛は間違いない!」と、お礼に小判をばらまいて立ち去っていったのです。
それ以来、この家は数々の幸福に恵まれてますます家運が向き、村人たちから「づんづく大尽(大金持ち)」と呼ばれるようになったそうです。
伝説の舞台、青梅の「日影和田」ってどこ?

物語の舞台である「日影和田(ひかげわだ)」という地名。現在では地図上から姿を消していますが、これは現在の青梅市「和田町(わだまち)」にあたる地域の古い呼び名です。
吉野梅郷で有名な「日向和田(ひなたわだ)」から見て、多摩川を挟んだ対岸(南岸)に位置しており、「和田橋」を渡った先にあるのが現在の和田町です。
明治時代までは「日影和田村」という名前でしたが、周辺の村との合併を経て、昭和42年(1967年)の町名変更によって現在の「和田町」となりました。
南側には山地が控え、現在も自然豊かな住宅地や農地が広がっているエリアです。日向和田の「日向」に対して「日影」と呼ばれたこの静かな土地。当時の大晦日の夜、底冷えする山裾の静寂の中で、狸たちがこっそり宴会を開いていた光景が目に浮かぶようです。
【考察】狸が置いていった小判の正体は?
さて、この「づんづく大尽」のお話。
「運良く狸が小判を置いていってくれて大金持ちになりました」という、なんとも景気の良い昔話に思えます。
しかし、一般的な日本の民話にしては、主人公が「困っている動物を助けた」などの教訓めいた描写がスッポリと抜けているような気がしませんか?
そこで、私なりに少し見方を変えて考察してみました。
もしかすると、この話に登場する「狸」というのは比喩(メタファー)だったのではないでしょうか。
「狸」=「貧しい人々」の暗喩説
大晦日の夜。年越しの準備もままならない貧しい人々や、行き場のない放浪者たちが、宴会が終わった後の家にこっそり忍び込み、残り物を食べていた……。
家の主人はそれに気づいていたけれど、あえて追い出したり咎めたりせず、「大晦日くらい、お腹いっぱい食べさせてやろう」と、黙って目こぼしをしてあげたのではないでしょうか。
そう考えると、このお話の本当のテーマが見えてきます。
寛容さと「主人の徳」がもたらした繁栄
厳しい冬の夜に、他者に施しをする心の余裕と情け深さを持っていた主人。
「狸が小判を置いていった」というのは後からついたおとぎ話としての脚色で、実際には、そうした「徳の高さ」や「周囲への優しさ」を持っていた当主だったからこそ、雇人たちもよく働き、地域からも深く信頼されたのでしょう。結果として、それが巡り巡って家を大きく繁栄させたのだと思います。
「づんづく大尽」という名前には、単なるお金持ちという意味だけでなく、人情味あふれる立派な当主への村人たちからの敬意が込められていたのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたか?
ただの不思議な昔話も、「なぜ?」と少し立ち止まって考えてみると、当時の人々の温かい人情や、地域で大切にされていた道徳観が浮かび上がってきます。
青梅には、まだまだこうした興味深い民話がたくさん眠っています。
今後も、青梅の歴史の片隅にある面白いお話を発掘してご紹介しますので、どうぞお楽しみに!
参考
- 青梅市史編さん実行委員会編『青梅:定本市史』青梅市、1966年

